以下の文章は、2004年のコンクールを受検するまでの道のりと、そこで感じたこと、得たことについて綴ったものです。あくまで個人的な雑感に過ぎませんが、今後コンクールの受検を考えていらっしゃる方の参考に少しでもなれば、嬉しく思います
続コンクールへの道
一昨年の琉球民謡コンクールで、参加者全体の合格率が7割を超える中、6名中2名のみ合格という惨敗を喫した私たちは、その経験から学んだことをふまえ、昨年新たな挑戦を始めました。何より一昨年の10月からは、直接指導していただける先生(岩井先生)をお迎えすることができたため、昨年は充実したスタートを切ることができました。
しかも、きちんとした指導者をお迎えしたことにより、沖縄の至宝大工哲弘先生の東京の教室であるという位置づけが明確になるとともに、教室への参加者が徐々に増え20名を超えるまでになりました。そのことにより、毎週のお稽古自体も以前より曲目も増え、かなり充実したものになりました。そして、コンクールへの参加表明は一昨年の惨敗組を含む8名にものぼり、再び練習の日々が始まるのでした。
やっぱり練習の日々
さて、いくらすばらしい指導者に教えていただけることになったと言っても、やはり自分で練習を重ねなければ上達しないことには変わりありません。私たちは一昨年の悔しい思いを胸に秘め、練習を重ねていきました。しかし、間違っていたらその場で直していただける、というのは本当にありがたいものです。一昨年のように何をしたらよいのかも分からず右往左往していた状況とはうってかわって、正しい道のりを前に向かって進むことができたと思います。
3月、そしてコンクール直前の6月には、大工先生に東京までお越しいただき、直接の指導を受けることができました。普段のお稽古とは違う緊張感の中で唄うことにより、本番を意識した稽古ができたと思います
また、個人的には曲目を3曲から自分で選ぶことができるので、前回失敗したつぃんだら節に換え、今回はでんさー節を唄うことにしました。間違えずに弾く、と言うことを念頭に置くと、でんさー節の方が手数が少なく短いので、(やや姑息な感じもしますが)有利だと思ったのです。
さらに、舞台で唄うということに対して、一昨年はあまりにも慣れていなかったことをふまえて、昨年は舞台を借りて舞台の上で唄う練習も実施しました。
コンクールの当日は
7月いよいよコンクールの本番を迎え、私たちは沖縄入りをしました。心強いことに岩井先生もともに参加していただけることとなり、応援部隊も含め総勢10名以上のメンバーとなりました。順番が比較的遅かった私は、早い順の人がホテルを順番に出ていくのを見送りながら、いやが上にも緊張感が増してくるのでした。私の順番は、午後3時頃でしたので、会場入りした頃には、すでにほとんどのメンバーが無事間違えずに唄い終えて心地よい開放感に浸っているのを横目に見ながら、やはりいい知れない緊張感が高まってくるのでした。
そして私の順番が
そして、前回同様番号順に15人ずつステージ横に呼び出され、番号順にステージに上がって唄うのですが、一度同じ舞台上で唄っていたこと、そして舞台の上で唄うという練習をしていた成果なのか、前回ほどには緊張しませんでした。ただ、自分の何番か前の人が歌詞を間違えたりしてブザーが鳴り、降壇しているのを見て、あわてて歌詞をもう一度思い出したりしました。そして実際に舞台上にあがってしまうと、やはり練習しているときと同様に唄うことなどできるはずもなく、ひたすら間違えずに唄い終えることだけを考えていました。自分の声に合わせ、高めにチンダミ(調弦)をしていたこともあり、声が引っかかることもなく、前日指摘された歌詞の発音を間違うこともなく、そして何より前回のように三線の手を間違うこともなく唄いきることができました。舞台を降りて最初に思ったことは、とにかく無事に唄い終えることができた、ということでした。後にこのときのカセットテープを聴くと、耳を疑うほどに下手くそなのでしたが…。
私たちの成果
一昨年は、結果の発表が夕方だったため、空港で飛行機を待ちながら結果の連絡を待っていました。しかし、今回は昼間のうちに発表していただけるということで、自分の目で結果を確かめに行くことになりました。気分はほとんど受験生です。合格者の番号が次々と貼り出されていく中、周りからは悲喜こもごもの反応が起こります。
そして、一昨年の失敗を糧に、新たな挑戦をした私たちの成果は、嬉しいことに7名の合格でした。幸い私も合格させていただいたのですが、合格発表で自分の番号を見つけたときは、直前まで熱心に指導していただいた大工先生、岩井先生に良い報告ができるという言いようのない安堵感でいっぱいでした。私にとっては、一昨年の失敗から得たものが結実した瞬間となりました。
芸の道は
芸の道に終わりはない、とよく言いますが、本当にその通りだと思います。今回はコンクール新人賞合格という一定の成果があったのですが、もっと上手くなりたいという気持ちは、今まで以上に強くなりました。当面来年受けることができる、コンクール優秀賞というもう一つ上の段階が目標ですが、八重山には良い唄がいっぱいあるからもっと紹介したいと岩井先生がおっしゃるように、いろんな唄を吸収していきたいなというのが、率直な気持ちです。また、それが可能な環境にあると言うことは、とても恵まれた幸せな状況であると言うことも感じています。
コンクールの成果
2年間にわたってコンクールに2度参加した印象は、極度の緊張の中で如何に自分の唄を唄うかを試す場所であると言うものです。もちろん人によって、その捉え方は違うと思いますが。しかし、大工先生がよくおっしゃっているように、コンクールの結果そのものよりも、そのプロセスが大切なのだという認識は、何となくですが実感できました。