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  東京大工クラブMさん流新人賞への道

じめに
この文章は、東京大工クラブのメンバーが、コンクールを受検することとなったきっかけからコンクール終了までの記録と、そこで得たことや感じたことを書きつづったものです。これを読んで、一人でも多くの方が、コンクール受検を決意し、挑戦されることを願って止みません

コンクール受検のきっかけ
私が沖縄の三線を習い始めてから、ついに丸四年が経ちました。昨年は、大ヶ島主宰からの思いもかけないお誘いで、沖縄民謡のコンクールに参加することになりました。自分がそんな大層な所に参加して良いものなのか、という疑問はもちろんありましたが、東京近郊からの参加実績が少ないため、とにかく実績を作るべく5人の仲間とともに参加することにしました。

練習の日々
さて、いざコンクール受検は決めたものの、悲しいかな過去の実績が全くないため、何をどうして良いのやら、どう練習を進めればよいのか、まったくもって暗中模索、五里霧中と言う状況でした。まず、コンクールの仕組みや手順がほとんど分かりませんでしたし、どんなところに気を付けて練習をしたらよいのかもまったく分かりませんでした。札幌や群馬、岡山、沖縄の大工先生の教室で受検経験のある方々に、とにかくいろいろな情報を提供していただいて、手探りで活動をしていました。みんながそろって練習できる時間も少ない中、集まったときは先生のテープを聞き、工工四を頼りに必死に真似をしていました。また、こちらでは手に入らない、沖縄の着物を手配するのも大変でした。こちらは、大工先生に外間琉舞衣装店を紹介していただき、東京大工クラブメンバーの奥野さんが現地調査に行ったうえで、そのデジカメの写真のみを頼りに通信販売をしていただきました。

コンクール前日
前日に沖縄入りした私たちは、早速大工先生の待つ練習場所へと向かいました。そして、一人ずつ先生の前で唄うわけです。実のところほとんどこれが初めてと言う状況で、普段どおりにはまったく弾けないものだなと感じました。私は、中の勘所がずれているところが一カ所あるのと、三線の持ち方と姿勢がおかしいと指摘されました。

コンクール当日
そして、いよいよコンクール当日が訪れました。朝から始めて休憩をはさみながら夕方の6時頃までかけて、百数十人もの参加者が唄っていくのです。人が唄っているのを見ているだけでも、自分がどんどん緊張してくるのが分かります。実はここで、私たちはあることに気がつきました。課題曲は、沖縄本島、宮古、八重山から3曲ずつ合計9曲の中から1曲を選ぶことができるのですが、恐るべきことにおよそ9割が沖縄本島の曲で、その中でも8割ぐらいの人が最初に習うと言われる「安波節」を唄っているのです。会場にいると安波節に洗脳されて、自分たちの課題曲「つぃんだら節」を忘れてしまいそうだと言うことに思い至り、私たちは一旦会場を後にしました。

そして私の順番が…
順番が近づいてくる時間を見計らって会場に戻った我々は、昔一緒に三線を習っていて、今は沖縄に移住した桃尻さんに着付けを手伝ってもらい、何とか格好だけは整えました。暑い沖縄の夏にはあまりにも暑苦しい格好で、汗だくになってしまいました。そんな脱水症状のようなときに、ついにステージ横に呼び出されてしまいました。
番号順に10人ごとにステージ横に呼び出された私たちは、これまた番号順にステージに向かい、ステージ上で一礼し、チンダミをした後いよいよ唄い始めます。手順はそれほど難しくはありません。
しかし、いざステージ上で一礼をしてみるとどうでしょう!目の前に沖縄民謡界の重鎮が10人も(それに観客が30人ほど)並んでいるではありませんか!私は、人は一体ここまで緊張できるものか?というくらい緊張してしまいました。しかも、頭の中には安波節が渦を巻いています。チンダミをする手も震え、唄の最初の音の勘所を押さえる指も震えてしまいました。そして思い切って唄いだしてみると、あれほど練習したはずの息継ぎが、思った場所でできないのです。それでも、息苦しい中前半は何とか唄いきることができました。ここでちょっとほっとしてしまったのがいけなかったのかも知れません。順調に滑り出した後半も最後にさしかかったとき、あろうことか押さえる弦を間違えてしまい、それをきっかけに正しい勘所を押さえることができなくなってしまいました。

思い返せば

翌日の夕方に合格発表を控え、私たちはみんなで反省会(=打ち上げ)を開いていました。皆それぞれ思いはありましたが、共通して言えることは前日に先生に指摘されたことを思い出している余裕がないどころか、そもそも普段練習していたときのようにも唄えなかった、というところでしょう。歌詞が思い出せなくなったり、三線の手を忘れてしまったり、通常ではあり得ないことが起きるものだとあらためて実感したのでした。
そして、全体で7割近くが合格する中、私たちには厳しい結果が待ち受けていました。6人中、大ヶ島主宰と三線歴の一番長い奥野さんの合わせて2人のみの合格となってしまいました。
次回に向けて
私自身の感想としては、コンクール受検のためにお世話になった数々の方にいい結果をお知らせすることができずに申し訳ないなと思う反面、大変貴重な良い経験をさせてもらったというのが、正直なところです。あれだけ大勢の人たちが静かに自分の唄を聴いてくれることなど、他ではあり得ませんし、何よりそこに至るまでに重ねた練習によって「つぃんだら節」は私の中で一番得意な唄になっていました。
もちろん、受かるために練習するわけですから、合格するに越したことはないのですが、例え結果が不合格であったとしても、受検前後では唄三線自体や人前で唄うことに対するスタンスが恐らくまったく違っているはずです。すでにコンクールを受検された方であれば、何となく言いたいことは分かってもらえると思うのですが、結果はどうであれ得るものは相当大きいと思います。だって、わざわざ沖縄まで行って舞台に立って唄うわけですから、その経験から吸収できることは、東京の片隅で工工四首っ引きで唄っているのとはぜんぜん違うに相違ありません。
コンクール終了直後は、あまりの緊張感と疲労感のために、もう二度と受けないと言っていた不合格者4人も、1ヶ月後には次回に向けてまた練習を始めました。
その後、敗戦の原因としてみんなで話し合った結論としては、何より直接習うことができる先生がいなかったことが大きいと言うことでした。やはり自主練習には限界があると言うことでしょうか。私はそれに加えて、実戦不足というか、舞台慣れしていないことが大きな原因だったように思いました。静寂の中大勢の前で、しかもステージに立って唄う機会が事前にある程度ないと、本番ではうまく行かない気がしました。今後は、そう言った機会も作っていこうと考えています。

嬉しいニュース

そんな悩みを持った私たちに、嬉しいニュースが飛び込んできました。10月から大工先生の弟子である岩井先生に直接教えてもらうことができるようになったのです。その後の練習が急速に充実していったことは、言うまでもありません。やはり間違いを直に直してもらえるのは、大変ありがたいことです。この勢いで、次回のコンクールを全員で突破できたらいいなと思います。